アーティストの歌唱は完璧でないといけないのか? -ライブにおける歌詞間違いの賛否-
先日、アーティスト「LiSA」のライブ中のパフォーマンスについてTwitter等で一騒ぎになっていました。
今日は皆にたくさん歌ってもらっちゃったね。沢山楽しんでもらいたくてネリネリしたんだけど、ココロと脳みそのキャパオーバーでした。心配かけちゃってごめんね。たくさん一緒に歌ってくれてありがとう。最後まで今日を一緒に作ってくれてありがとう。来週は名古屋大阪です。よろしくお願いします。
— LiSA (@LiSA_OLiVE) April 8, 2018
ライブ中のアーティストの歌詞間違えについて。
歌詞間違えは今回の騒動の根本的な原因ではないのですが、情報が錯綜しTwitter上で多くの意見が投稿され、僕自身も考えるきっかけになりました。
ライブでの歌詞間違えについて、みなさんはどう思いますか?
歌詞間違え、肯定します。
結論から話しますと、僕はライブ中の歌詞間違えに関しては肯定派です。
しっかり準備をしている中でミスが起きてしまうことに関しては目くじらを立てることではないと考えています。
ミスが起こるのもライブならでは。と言う考え方は多くあり、同じような意見もTwitterでよく見ました。音源とは違う生の歌唱だから間違いは起こりうるものだと。
ただ僕はミスを容認しているわけではありません。
どのアーティストもひとつひとつのライブを大事にして、そのために準備をしていると信じています。
体調管理であったり、リハーサルであったり。そのライブに対して多くのエネルギーを注いでいると思います。
しかし、当日の機材のトラブルや、突然の感情の高ぶりでうまく歌えなくなることもあるでしょう。
そんなときには見ているこちら側の心情も大きく動いてしまう。
その動いた心がどっちに傾くかが、今回のテーマなのかなと。
僕は「頑張れ!」っと応援したくなりますし、涙ぐんで歌えなくなっているときは会場全体で唄いたいと思います。
そういう気持ちが会場全体にあると、「ライブでしか味わえない、ライブならではのミス」と言うことになりますね。
僕はありがたいことにそういう場面を何度か経験したことがあります。
また、アーティストによってはすでに歌詞間違えが定番化していることもあります。
定番化については僕は少し頷けない部分もあるのですが、そのアーティストの歴史で成り立っているのであればありなのかなと。
盛り上がる定番曲で歌詞を間違えて、間奏中に謝り、その次のフレーズをさらに間違ってしまい会場を笑いの渦に巻き込む。
それを笑える空間を作っているのもアーティストの力だと思います。
僕はアーティストが見せる音楽の世界を、会場全体が共有して一緒に楽しめるのがライブの醍醐味だと思うので、歌詞間違えても演奏にミスがあってもそれはそれでひとつのシーンになると思います。
ライブ歌唱は完璧でなくても良い。
ただ、そのライブに最大限の力を注いで欲しいと願っています。
とはいえ、否定派の気持ちもわかります
僕の考えは前述したスタンスなんですが、否定派、つまり「歌詞間違え許すまじ」の人の気持ちもわかります。
せっかく楽しみにして来たライブ、しかも好きな曲が披露されて高まっているときに目の前の唄が歌詞も違ってボロボロだったら・・・。期待していた分ショックも大きいですよね。
そこをどうリカバリーできるかは、そのアーティストの度量と技量とも思いますが、こちら側がそこでむき出しの負の感情を出してしまうのは同じ空間を一緒に楽しむライブの醍醐味からは外れてしまうのかなと。
ステージで歌うのが仕事なのだからミスなんてもってのほかだ!と言う気持ちもわかります。
だから、僕も事前準備をしっかりしてないなと感じたら、残念な気持ちになります。
それでも起きてしまったミスを責め続けるのは違うのかなと。
僕ならライブ準備もできてなくて適当なライブをされて、我慢できなくなったらならもう見切りをつけてファンを辞めます。
そんなアーティストいないと思いますが・・・・・・。
一度しかない貴重な空間を大切に
そんなこんなで、良いきっかけだったので僕の考えを書いてみました。
あなたはどう考えますか?
きっけかけの騒動での歌詞間違えの賛否ではなく、あくまで全体的な話なのでご理解をお願いします。
ライブはその日のその瞬間にしか存在ができない貴重な空間です。
止まらない時間のなかでやり直しも一切できません。そんな空間だからこそ感じられる気持ちがありますよね。
ライブに参加するみんながお互いのことを思ってマナーを考えて楽しめる空間になればと思います!